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”土筆(つくし)の思い出 [昔ばなし]

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小学生の頃、よく利用した私鉄の駅の隣りに、”和田堀給水場”という
東京都の施設があります。100m四方程もある広大な敷地の中に、
貯水池を囲んでいるのでしょう、10mほどの高さの土手がぐるりと
城壁のように伸びていました。
石積みの塀と狭い道路が周りを囲み、その外側はびっしりと住宅が建ち並んで、
そこだけ異質な雰囲気の空間となっていました。
でもきっと、給水池が昔にできて、その後住宅が押し寄せたのでしょうね。

ある日、近くに住む友人のO君が、”いいとこに連れてってやるよ”と言って、
中に案内してくれました。もちろん正々堂々と正門を通ったわけではなく、
石垣の隙間から忍び込んだのだから、見つかったら叱られます。
でも、その頃は警備員なんていなかったみたいね。
中に入って土手の下に行ったら、びっくり! 土筆が一面に生えています。
本や絵で知ってはいましたが、実物を見たのはたぶん初めてで、
目の前はもう、キラキラと輝く別世界が広がっていました。

その後、前を通るたびにまた入ってみたいと思うのですが、
いい子ちゃんだったmukuパパには、実行する度胸なんてもちろんない。
街の中では見ることのなかった土筆が、結構何処にでもあるんだと知ったのは、
かなり後年になってからでありました。
O君、社会人になってから一度町で出会ったけど、元気で暮らしているかなぁ。

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スギナだけが池のように広がっている場所があります。
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夢のかけら [昔ばなし]

          今回は昔話なので、かなり長い記事になります。
昔話なんて語り手の熱い想いに較べて、聞いてるほうは白けるのが常のようなので、
  まぁ、適当に読み飛ばしてください。 いつもそうしてる? そ、そうですか‥

mukuパパが中学の頃、少年向けの雑誌に載った一枚の写真に釘付けになりました。
   そこには目を見張るほど美しい、流線型のモノレールが写っていました。
 新しい遊園地と国鉄(JRですね)の駅を結ぶモノレールが開通するという記事で、
   その近未来的なスタイルは、その頃開通した新幹線よりも数倍カッコよく、
         ぜひ一度乗ってみたいと、ずっと心に残りました。

   横浜ドリームランド。日本一広い遊園地として有名だったから、多くの人が
     知っているでしょうし、行ったことのある人も何人もいるでしょうね。
      でも、mukuパパには、不思議なほど縁のない遊園地でした。
  その頃横浜はあまりに遠かったし、そのうち遊園地にも関心を失う年になり、
        また、近くに立ち寄る機会というのも全くなかったので、
          どこにあるのかさえ、ずっと知らないままでした。

 もちろんテレビのイベントや広告で、横浜ドリームランドの名は時々耳にします。
  その度にモノレールを思い浮かべるのですが、何故かモノレールの話題は
     一度も出てこない。ずっとそんな形のまま40年近くも過ぎました。
    そして、いつだったか、ドリームランド閉園のニュースが流れてきて、
 ”ついに、乗らずに終わっちゃったか”と、ちらと思ったのが最後となりました。

そんなことも忘れた頃、会社から”横浜でモノレールの軌道撤去の工事があるから、
打ち合わせに行ってくれ”と言われ、”あんな所にモノレールなんてあったかな?”
と疑いつつ現場に着くと、”あっ! これがあの軌道か!”思いもよらぬ出会いでした。

     現況を確認するため、関係者で全線を見て行くと、これがすごい!
 駅の上20mくらいの高さににプラットホームがあり、いきなり崖の頂部に向かう、
    その後は斜面を駆け下り、谷を渡り、草の丘を登り、軒先をかすめ‥
      遊園地のアトラクションそのものでした。面白かったろうなぁ。
          その上、途中、国道1号の真上を交差している。
   ”えっ?!!” ここは車でよく通る場所で、昔から見覚えのある橋なんだけど、
 モノレールの軌道とは知らず、ずっと水道管か何かの架橋だと思っていました。

 でも、全体的に華奢なのね。軌道は細く、橋脚はひょろ高くて、スパンが広い。
   別の意味でスリルが味わえそうな軌道だなと思ったら、同行した方が、
        "開通して、一週間で運行停止になったそうですよ"

        "???‐‐" 絶句して、しばらくは動けなかったですね。
 一週間運行しただけで、その後何十年も、この軌道だけが残っていたなんて‥
    今までなんとなく、もやもやしていたものが、一気に納得できました。
     でも、初恋の人の不幸な一生を、後に初めて知ったような思い。     
泣きたいような気持で、夕暮れの中に、彼方に延びる軌道を見つめておりました。

            ――――― ・・・・・・・・・ ―――――

         今はネットで何でも調べられるから、ありがたい。
 この記事のために調べたら、一週間は大げさで、一年半は運行したようです。
でも何度も停止したらしい。車体重量が設計以上になったのが原因だったそうです。

       打ち合わせの事務所の前に、プレハブの倉庫があって、
    軒先にドリームランドで使われた機材が、山積みされていました。
    その中に使えそうなBBQグリルがあったので、もらってきました。
写真のグリルがそれです。ここで何回か使ったのですが、久しぶりに引張り出したら
            底に穴があいていて、もうスクラップです。
        ちょっと胸キュンを感じながら、記念の記事にしました。

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さすがにプロ仕様だけあって、隣にある市販のグリルと較べたら貫禄が違う。
周囲には粋な木の枠がありました。昔は目を輝かせた子供達に囲まれていたのでしょうね。

          グリルの底から秋空が見える、なーんちゃって・・。
          この写真を撮ったのは一ヶ月ほど前です。すみません。
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カッパと・・・ [昔ばなし]

             前回の夏休みの宿題で想い出しました。
    今は保育園でも英語を教えるほど、アルファベットが身近になっているようですが、
       私は小学校の高学年まで知らなかったんですよ。自慢にならんけど。

5年生の今頃だったと思うけど、親友のK君が”これ解かった?”と宿題のドリルを持ってきました。
       ちょっとのぞくと、おぉ、かなりやってある。較べて私のは真っ白。
        というより、休み前に渡されてから、一度も開いてないのね。

  開くと、ローマ字をカナに直せという問題で、ここでアルファベットに初めて直面しました。
     ドリルに載るくらいだから授業を受けたのかもしれないけど、全く記憶にない。
   八百屋をやっていた親父が店から顔を出して、高等小学校(?) で少し習ったから見てやる
          と言って、なんとか初めの4問を解いてくれました。

 でも、最後の問題は難しい。 ”カ、カ・・ッパ・・ト・・これはわかんないな、最後は”リ”だな” 
          ”カッパト・・リ”   わたしとK君、同時に叫びましたね。
         ”カッパときゅうりだ !! ”  なんだか、すごく嬉しかったなぁ。

 6年生の時、ローマ字で日記を書いては、毎朝、先生にチェックを受けるという課題を出され、
         2ヶ月ほど続けて、ローマ字をマスターすることができました。
       おかげで、このブログを続けられています。 仰げば尊し、我が師の恩。

     K君とは、学校で、毎日のように二人でキャッチボールをして遊んでいたのですが、
          30年ほど前、最期に顔を見たきり会ってません。 元気かなぁ。
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          4年前に、私のつくった畑にできたきゅうりです。ブログにも載せました。
          回収より投資が大きくて、農業方面への才能、適性はないと気付きました。
          小学生のころは無限にあった可能性ですが、もう、残りはあまりない。
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お富さん [昔ばなし]

  mukuパパは、前期高齢者世代、中期フォーク世代、後期団塊の世代なんですが、
               (うーん、こう書いてても楽しくないなー)
       ま、いわゆるフォーク世代なので、演歌とか歌謡曲なんてのには
   ちょっと斜めに眺める傾向があるんですね。加えてトーンデフの傾向もあるので、
           (あー、大きな声で音痴と言えない事情があります)
    カラオケとは、その黎明期から最盛期まで、同時代を生きてきたのですが、
               ほとんど無縁の人生を過ごしてきました。

ところがこちらに来て、村の飲み会なんかで、挨拶代わりに歌でも唄えと言われるんですね。
        なるべく固辞していたのですが、断り続けるのも大人気ない。
       だけど唄える歌なんて、ひとつもないんですよ。そうかといって
村の長老達を前に、赤い風船にのってお空を歩いた~ なんて歌っても受けるとは思えない。

 ある日、せっぱ詰まって、酔いも入っていたので、”お富さん”を思い出しながら歌ったの。
  そしたら一度もひっかからずに、うまく歌えたんですねー。自分でびっくりしちゃった。
 小学校の低学年の頃、よく耳にしていた歌なんですが、すらすら口から出て行くんですよ。
    雀百まで、わしゃ九十九まで… じゃなかったな、雀は白髪が生えません、
   ドント フォゲット ザ ダンシング ですね。新しい自分を発見しました。へへ…。

    ところでこの”お富さん”、若い人は知らないと思うので、ちょっと紹介すると、
               登場人物がやたら多い歌なんですよ。
     粋な黒兵衛さんに腰の美しいお松さん、姿というあだ名の新井香美さん、
      それと主人公のお富さんに、お釈迦様や仏様まで出てくるんですよ。
                弦屋の旦那なんてのもいました。
  内容は、お富さんの死亡通知が出ていたとか、いなかったとかいう歌なんですがね、
        そんな歌を、意味も知らずに子供の頃歌っていたんですねー。

思い出したら他にも、若いお巡りさんとか東京のバスガール、達者でな、なんてのがありました。
             こんな歌知ってるかなー?  おーい、中村君!


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 お富さんじゃなくて ”おフキさん” です。 元気でやってます。

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          ジンゴローも相変わらず元気ですよ。
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コンピューターの話 [昔ばなし]

         今でこそパソコンに手を焼いているmukuパパですが、学生の頃は、
     コンピューターを勉強していた時もあったんですよ。 出来の悪い学生でしたが。

             ”フォートラン”とか”コボル”なんて知ってる?
      今じゃきっと、古代エストニア語かラテン原語みたいなものなんでしょうねぇ。

    まだ”コンピューター”なんて言葉は一般的じゃなくて、”電算機”と呼ばれてました。
          正確には”電動計算機”…  違うな”電子計算機”ですね。
電算室ってのがあり,入るとガラスの仕切りの向うに洋服ダンスみたいなのが5・6台並んでました。
            こちら側の部屋でで入力と出力を行うのね。

  ある時、”クラス全員のテストの結果を、成績順に並べて表にせよ”という課題が出たので、
     プログラムとデータを、一行に一枚、パンチカードという葉書大の用紙に打ち、
         2,3cmの厚さに束ねて電算機に入れ、結果を待ったら…
         あららrrr … コンピューターが止まらなくなっちゃった。
     白衣の助手がぶっ飛んできて、電源プラグを引っこ抜いて止めてくれました。
           (あー、ウソです。そんな野蛮なことはしません)

後年、似たような問題をエクセルでやったら、チョン、チョン、チョンで、出来ちゃうじゃないの。
  ”世の中ってのは、おいらの居ないところで進歩していくんだな”としみじみ思いましたね。

   ちなみに、白衣の助手は…、学内のどこでも白衣で現われるので有名な方でしたが、
          工学博士になられて、現在、パリでご活躍だそうです。
        ずいぶん遠くへ行っちゃったのね。太陽系の向こうみたいだ…

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      ※写真はイメージです。 意味わかんないな…
       ま、残暑厳しい折、小国の渓流で涼しさをお楽しみください。
   
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